
幼い頃に夜の首都高で感じていたこと。
夏休み、母の実家から神奈川の自宅へ帰る上り線。渋滞に捕まって渋谷・六本木のビルの谷間、ビルの中に小さく人が見えてまるでアリの巣の観察キット。ラジオはこどもの僕には内容はさっぱりだったけど、AMはワイワイと楽しげでFMはなんだかエモくてクールな感じ。
ビルの屋上広告が右から左から次々と、シューティングゲームの敵機みたいに現れる。車やビール、消費者金融、栄養ドリンク、当時はタバコの広告も結構あった。
前を走る車が次々に入れ替わる。その度にナンバープレートの4つの数字をぴったり0になるように足したり引いたりして、ちょっとしたゲームをした。
雨の日は窓ガラスに当たる雨粒を内側から眺め、一つ一つ指で押さえて追いかける。滑り落ちる水滴が他の水滴とくっついて大きくなってく。
眠るのも最高だった。道路の繋ぎ目をタイヤが乗り越える度にゴトン、ゴトンと電車のように揺れる。そのリズムが寝れるような寝れないような、夢に入ったり現実に戻ったり。そんな感覚が夜の都心を幻想的な場所にさせた。
一定間隔で並ぶ電灯。光が前から後ろに次々に流れ、影は後ろから前へ。何度も何度も光と影が往復して目がチカチカした。
窓を開けると目が覚める。この頃の夏の夜は今なんかよりずっと過ごしやすかった気がする。夜にクーラーをつけていた記憶が無い。窓を開けて風を受けると結構涼しい。ほのかに排ガスの匂い。
風が耳を擦れる音、エンジンの音、小石がタイヤに挟まって地面に当たる度にチッチッチッと音がする。前後左右どのタイヤに挟まっているか耳をすます。答え合わせは家に帰ってから。
道路にプリントされた白線をじーっと見つめる。白線が車の後を追いかけて来ているような感覚になる。月もよく追いかけて来た。沢山のものが流れて消えていく高速道路で、位置を変えずにいるものは全て自分たちと並走しているような感覚になった。
そういうあれこれ。
また、思い出したら追記します。